今月の言葉

2022年9月

一生懸命―毎日、今日一日を生涯として切れ目なき連続

私はたびたび申します。修養団捧誠会は蟻の這うような小さい団体であります。しかし皆私とともに平和建設に一生懸命であります。志を一つにして、ともに険しい道を歩んでいるのであります。
「われわれがどんなにしたってどうなるものでもない。世の中はますます乱れるばかりではないか。しょうがないことだ」とサジを投げている人はいないはずであります。
言ってみれば、志ある者同士が歯ぎしりする思いであろうと思います。そしてこの努力、この心情は、たとえ人に知られなくとも、知られないからつまらないというような気持ちを持たずに、笑わば笑え、そしらばそしれ、私は祖国日本をこのまま子や孫に渡すに忍びないのだという真剣な思いに燃えて、一生懸命にやっているのであります。

これはこのまま尊い難行苦行です。しかし、この念、この国を思う念は実に重い。この種は枯れることがありません。今、私と皆さんとが心を一つに結んで平和建設に難行苦行しているこの種は、いずれの日にか、必ず芽生えるのであります。この芽を育てるのは子か孫でしょう。その花を見、その実りを手にするのはひ孫かひひ孫であるでしょう。

私は大正12年以来、終始一貫して平和建設の歩みを続けております。それは固い志があるからであります。このために私はこの一生のすべてをかけております。世にいう「一生懸命」であります。この一生懸命は切れ切れではありません。毎日を、今日一日を生涯として、切れ目なき連続であります。
ただ理想を持っているというのではありません。その目標に向かっての実行的な真剣さ―何度生まれかわってもやっていこうというのは、これは神と結ばれている情熱です。感情による情熱は冷めることもありますが、神と結ばれた真剣な思いは冷めることがありません。

(出居清太郎著『太極のひびき』)