会員の思いと行い

反省と実行の積み重ね

私たち捧誠会員が「反省」といった時は、自らの魂の生成発展に繋がるためのことにならなければならない。
これまでの勉強で自らの魂には性格や癖というものがあり、「反省」はそれを教えにそって変えていくための出発点であることはおおむね理解していると思う。自分の性格や癖を変えるということは案外難しいが、神はここぞという時にその人に最も適した課題を与え、背中を押して下さる。しかし自分の心の中を見るということを少しでもやっていないと、それすら気がつかないのだが…。
また、いくら反省してみても、実行という段階に踏み込んでみなければ、自らの心の中の変化は本当には分からないと教えられる。教祖の場合でも、おしえは体験を通して信念となり、捧誠会綱領にまで発展していったものと言われている。

教祖様は幼少の頃から普通の悪童とは違っていたと言われていたようだが、それでもやはり親に対して疎ましい反抗的な気持ちを持っていたと言われ、父親幸八さんが、言葉の使い方によって人の心が良くも悪くも動くことになると、他の人に諭している姿を見て、自らの父親に抱いていた反抗的な気持ちを反省したという。

このようなことは私たちにもよくあることで、日頃お付き合いのある人たちの間で、どうもあの人は自分の考え方と違うので疎ましいと思い、どちらかと言えば偏見をもってその人を見ていることがあるが、しかしその人を注意深くそして冷静(霊性)に見ていると、意外な一面を見ることがあり、むしろ自分の心の持ち方受け取り方が狭いということに気づかされ、普段の修養の至らなさを反省させられる。 そこでそれを機に、できるだけ人に対して最初から決めつけて、こんな人とかあんな人と思わないように心がけていく努力をしていくと、次第にそういう人の方から親近感を持って受け入れられるように変化していく。そういうことを重ねていくと、次第に教えが魂にしみこんでこだわりがなくなっていく。

(M男 会員の手記をもとに一部編集したものです。)