不思議なご縁に導かれ
私は、昔田舎から上京する時に母が持たせてくれて、学生の頃より愛用している四角い置き鏡を仕事机に置いてあります。机に正座して鏡の中の自分と会話すると外面だけでなく心の中まで正直に映し出されます。考えに詰まった時、ひと息入れてぼんやりするひと時も、鏡を見るのが大好きなのです。
しかし入会前、鏡を見ていた私はさぞかしきつく冷たい、さかしま心いっぱいの、暗く寂しい表情ではなかったかと思います。
心で思うこと、心の動きはその心のあり様で二面性を持ち、コントロールできなく、自分の正しさですぐ善悪をつけ裁いてしまう。私にもこんな良いところがたくさんあるのに、心の流れが負の感情に流されてしまう、その感情を胸の中に閉じ込め波風立てないように自分を装い、苦しんでおりました。
この苦しい胸の中を全部洗い流し、執着することなく平静を保ち、自分の正しさに縛られることなく、心は自由でありたいと思っていました。
心にゆとりを持ち、穏やかな優しい人になりたい、間違いを正してほしいと神様を強く求めていた頃、主人は私を富士山の見える伊豆によく連れて行ってくれました。
修善寺から戸田へ向かう、悠久世界平和郷のある達磨山方面への道を何度も通っておりましたがある時、そこがなんであるかも分からず平和郷の中へと車を走らせたのです。ご尊像の前に車をいったん止め、二人でご尊像を見つめて中へと進みました。誰もおらず、車を止めて尊愛堂、次は御霊所へと車を進め、宗教施設が伊豆にはたくさんあることを知るのです。
主人はこの地だけでなく、伊東の音無神社、箱根の熊野神社に行って、境内の碑文を読み、私たちは出居清太郎先生、教祖様のお名前を知ることになりました。また、伊東の蓮着寺では奥へ奥へと歩いて、教祖の碑に巡り合い、主人は碑の前で頭を下げ手を合わせ、しばらくすると草を素手で刈り始め、私も無我夢中で草をむしり、掃除を少しさせていただきました。
伊豆の山々の四季を通して澄み渡る空気の中、特に清らかな川の流れに整備されたわさび田の美しさで私の心を癒すため、何度も伊豆を訪れ、偶然にも教祖様の信念が宿る足跡地やみ霊の鎮まる神里・悠久世界平和郷を訪れておりました。
そして平成11年5月15日、郷里の母の介護に向かうため新潟の長岡で乗り換えると、心が苦しくなるとふっと私の脳裏に浮かぶ同級生が徽章を付けて座っておられました。隣の席に座った私は、「その徽章は何ですか。心を癒すものですか」と尋ねました。すると「そうね」とおっしゃり、この方は翌日の新潟ご足跡碑式典に出席するために、私と同じく郷里の加茂に前泊するために乗っておられたのでした。これも不思議なご縁でした。
私は徽章が気になり、後日、東京で再びお会いして、「修養団捧誠会という宗教」であることを教えていただきました。話の中に伊豆達磨山に神里という富士山の見える平和郷があることを知らされると、今まで主人と訪れていた数々の聖地の一つ一つが心の中ですべてが一直線につながり、心はもう神里まで届いて入会の決心をいたしました。
教祖の『誠書』第3巻を読んで、「心で思うこと、考えること、心の動きはあなた方の自由であります」というお言葉が心にしみました。自由な心で、天地自然の法則にかなう心の持ち方使い方を学ぶことが、信仰の姿だと気づきました。容易なことではありませんが、天地自然の法則を学べば心は軽く、楽に生きられる、心を感謝に切り換える実行が信仰だと思えるようになりました。
無知な私から、学びたい、知りたいという姿勢に変わっていく中で、私の心は我執のかたまりでしたから、まるで汚れを洗濯しているような心境になっていきました。
こうして私は修養団捧誠会という宗教を知り、ご縁をいただき、51歳で、偶然ではなく必然にして「縁結び誰がするかと思うなよ 神の力で神がするなり」と、私の人生の幸のため会員にさせていただきました。
こうしてやっと心の扉を開き、私は辛抱(真捧)ではなく我慢の種をたくさん蒔いてきたことを知りました。大きな我執の種ですから、薄紙はぐごとく丁寧に摘み取らなくてはなりません。心の持ち方使い方を教えに添わしながら切りかえ立て直し、反省感謝の生活をしていく中で、足らないだらけの私に教祖様はどれだけたくさんの不足を補い助けてくださったことでしょう。
失敗の連続の中、心が迷い苦しんでいると枕元に声…初めての高萩聖地祭、誰の声かわからないけれど「来なさい」「待っているよ」と男の人の声…。写真でしか知らない教祖様ですが、目が覚めて気づきました。こんな身近なところで私を見て守り導いてくださっていると思うと涙とともに感謝があふれてきました。
主人に話すと高萩聖地祭当日の朝早く駅まで送ってくれました。主人はまた度々高萩平和郷へと車を走らせ、私をお参りに連れていってくれました。
今回、湯沢ご足跡碑式典に出席する機会をいただき、私は初心を振り返るチャンスを頂戴いたしました。たまたまS画伯に私の似顔絵を描いていただきましたが、その顔はまだまだ人生の修養が足らない栄養失調状態の表情でした。
これから鏡に顔をうつすたびに、心の大掃除と思って心を浄めながら年齢を重ねていきたいと思っています。
(T女 会員の手記を基に一部編集したものです。)
