アー・ユー・ハッピー?
むかし私がアメリカの大学に留学していた時の話です。同じ寮にいたアダムスさんと仲良くなりました。ぐりぐり目に黒メガネの彼は、毎朝食堂で会うと、「おはよう、アー・ユー・ハッピー?」と挨拶してくれました。私はこれがだんだん気に触ってくるようになりました。何でもないことなのでしょうが、私はちょっと待ってくれよと言いたくなったのです。
幸せというものは、そもそも人の内面に深く関わっているもので、お天気みたいに毎朝変わるもんじゃない―こう思い始めると私の中にそうだそうだという応援団ができてはやし立てるのです。
ある日曜日の朝、ブランチと呼ばれて寮の食堂の朝食もゆっくりしていましたから、彼と同じテーブルに着きました。
もちろん彼は目玉をギョロギョロさせて、ハッピーですかと言いました。私はいつもと違って、あんたと少し話したいと言って、そもそも幸せとはと切り出しました。毎日変わるものかという非お天気説を喋りました。 一言も挟まずに黙って聞いていた彼は、私が話し終わると、静かに「どこか体の具合が悪いんじゃないのか?」と聞きました。「ノー」。「家族は元気か?」「イエス」。「お金がないのか?」「ある」。「論文はうまくいっているのか?」「イエス」。彼は目を一段と大きくして私の肩に手を乗せて、それじゃ君は幸せじゃないかと言いました。
これは思いもかけない言葉でした。そうか、こういう身近な幸せについて僕は少しも気づいていなかった、幸福論の中に何が書かれているかだけは少しは頭に入っているかもしれないが、それは一体何の役に立っていたのだ、こういうことを初めて痛感しました。
先生、先生はある時私に、「学問は我と苦と文句だ」とおっしゃいました。幸福論が学問としてどんなに重要なのか知りませんが、何冊かそんな題の本を読んで、自分で大して考えもせず、ただしく我と苦と文句の水準でしか理解していないために、幸せの実感ができずにいたのです。この時私は本当に素直に、幸せとはまさしく今こうしていられることなんだという気になれました。「そうだ、私は幸せなんだ」と言って彼の手を握りました。
先生が『月報』と名付けた、若い人たちが編集していた雑誌が当時ありました。これが妻によってアメリカに送ってこられ、アダムスさんに言われて、今のこの場が幸福ということにようやく気づいたばかりの私の手元に届きました。そこに載せられた先生のお話の中に、「毎日毎日、今のこの場が幸福と思う心を養いなさい」というお言葉がありました。
(I男 会員の手記を基に一部編集したものです。)