問題を起こす弟の魂を尊重する
私は小さい頃から母が弟を溺愛している姿を見、弟のわがままに不平不満を持ち、自分の寂しさも伴って、弟が問題を起こすたびに、母の溺愛が原因だと批判していました。弟は頭のいい人でしたが、精神的な弱さから問題を起こし、やがて両親が年老いたころに大きな金銭トラブルを起こしたのです。
どうにか立ち直ってもらいたいと話し合いをしましたが決裂しました。少し時間をおいて落ち着いたころ、私は自分の心を見直してみました。そして思い出したのは、勉強会で聞いた魂の尊重についての次のお話でした。
「私たちは神の子として神から分けみ魂というすばらしいものをいただいている。しかし因果の理法でいろいろな姿になっているのだから、目に見える姿だけで裁かないで、ご苦労さまとその人の思いを抱きとってあげて、その人の立つ瀬を認めて、次の一歩を踏み出せるように共に勉強していく。これが魂を尊重すること。」
目に見える事実だけで裁いて、そうせざるを得ない弟の気持ちを汲み取っていなかったのです。弟の責任だけを責める気持ちが強かったことに気づきました。
また、「因果の理法、魂の歴史については3代前までたどったらわかるよ」という教祖のお言葉があるということでしたので、実家の歴史をたどってみました。
力関係を使って他家の長男を無理に養子にした曾祖父のこと、祖父の女性問題、地主であったためにそこにかかわった人たちの心の痛みを理解できなかったことなど、多くのことがその当時は許されて通ってきたのですが、天地自然の法則に照らしてみると外れていることが多くありました。
母の溺愛も、母自身が一人娘であったため、「家を守る」ということの重責から、次代を担う長男に期待をかけ、溺愛という結果になったのだと気づきました。
実家の何代にもわたる人々の思いが今の弟の姿になって現れている、弟は実家の過去世のことを背負ってくれている、ご苦労さまとの思いが初めて湧いてきました。
主人の協力もあり、話し合いがもたれ、弁護士に相談することで一旦は解決をしました。ところがまた問題を起こしたのです。
「どのような人でも神の子である。人の目にはしようのない人にも真心を尽くし切る。それが大恩に報いる道である」という教えに触れ、もう一人の弟と、「こんな奴と思わない努力をしよう」と話し合い、その後はその思いを持ちながら事に当たっていきました。これが共に神の子として尊重する行いだと思ったのです。
家・土地など形あるものはなくなり、弟も筋萎縮症という難病にもかかりましたが、闘病生活は穏やかな日々を過ごしていました。
家族・兄弟の和合の末に、弟は「こんな自分をよく見捨てないで、ここまでありがとう」の感謝の言葉を残して命をお返ししました。
「いのちの親は、通れぬ道は作っていない。通れる道を作ってあるとお諭しになっておる。これを神の道という。神の道は天地自然の法則によって作られたものである。その道は誰が通るか。神の子が通る。神の子に神が通さす。…非常に厳しい道でありますが、この道を通って、そこに幸せが生まれるのであります」という教祖のお言葉がありますように、たいへん厳しい道でしたが、このお言葉のように、道中ではたくさんの神のはからいをいただき通させていただきました。
「みおしえは、万物生成発展の生命の種、根、糧であります。万物が生かされ、生成発展していく甘露であり、大恩であります」というお言葉も、行って、味わってはじめて本当のことがわかり、また心(魂)が育っていくのだと思います。
(M女 会員の手記を基に一部編集したものです。)