平和一神和石
- (建立)
- 一九六四年(昭和三九年)七月八日
- (所在地)
- 岐阜市 岐阜県護国神社境内
- (揮毫者)
- 亀井清堂
- (副碑)
-
聖感
古池に霊ただようて
我を呼ぶ
歴史のあとを
讀めと悟りぬ
昭和二年の夏の夜
誠のみちを伝えんと
友をたずねてあるくうち
古城の森にたどりつく
見えない糸にいざなわれ
一夜の宿を霊山に
旅の疲れはいやませど
まどろむひまなく天の声
岐阜と福井は裏表
山を越えたら花も咲き
神につながる交流に
文化の街も築かれん
でこぼこみちの露ふめば
汚れた池の水面に
霊魂かげをうつしける
遠き歴史の跡とどむ
昭和二年七月八日
出居清太郎
修養団捧誠会総裁
出居清太郎先生は天稟の資質を具えて
明治十二月三日栃木県佐野市高萩に誕生
不撓の研修積徳によって宇宙の大極と渾然一体となり
四十有余年神の啓示をとりついで今日に到る
昭和二年七月八日
先生は霊に導かれて長良河畔の此処に足を留め
竹林に結ぶ仮眠の一夜
天の啓示あり
日本の地形は竜
その頭は北海道
その尾は九州
その中心の腹は岐阜
この高天ヶ原より平和の声を挙よ
と
直ちに霊山
金華山に登り古城を尋ね歴史を見直して平和建設を誓う
以来神の啓示のまにまに幾多波乱の中を一路平和建設の歩みをつづけ
当県でも死線を越えて県民を救済された事実は枚挙にいとまなく会員一同は感激の涙にむせぶばかりである
ここに県下の会員は
先生多年の艱苦の後をしのびつつ平和世界の中心地に御足跡記念碑を建立し以て神慮に合一
平和建設の声を高らかにあげるものである
昭和三十九年七月八日
修養団捧誠会岐阜県支部
代表 上松貞次郎
清堂亀井安之助謹書
神石・和石
名称 | 碑文 | 所在地 | 除幕日 |
---|---|---|---|
平和一神和石 | 平和一神 | 岐阜市 岐阜県護国神社境内 | 1964/07/08 |